2015年01月31日
2015年01月26日
楽園ブログを通じての結婚式

楽園ブログを通じて出会った「Cafe Atik」を営む喜多さん、革小物のオーダー販売店の「hedge」大垣さん。
昨日結婚式を挙げて夫婦になりました。
ぼくも朝から撮影に呼んでいただき、たくさんの感激のシーンを撮影。
そして、一日を締めくくるカットは喜多さんのお店で。
やはりこの場所が一番似合いますね!!
他にも2人らしい笑顔いっぱいの写真がたくさんあります。
改めてアップさせていただきます☆
2015年01月24日
2015年01月17日
20年目の1.17
今日で阪神淡路大震災から20年がたちました。
その日僕は西宮市に住んでて震災のひどい揺れも、その後の混乱も体験しました。
震災から20年がたったなんて想像できないし、何よりあの時20年後のことを考える余裕なんてまったくなかった。
あの後時間がたってこのように家族や仕事場のスタッフと毎日楽しく過ごしているのは感謝してもし切れないくらいの幸運に恵まれているからだと思います。
当時、僕は19歳でした。
世の中はすべてが秩序だったものだと思っていました。
信号は赤から青、そして黄色と順番に変わっていったし、電車は時間通り夙川駅に到着し、朝の8時に乗れば決まってギュウギュウ詰めで、午後の1時に乗れば必ず座れました。
アルバイトは9時45分にはじまり、1分でも遅刻をすれば1ヶ月間の時給がうんと下がりました。
それが1995年1月17日まで僕が見てきた世界でした。
でも一瞬にして住み慣れた街は崩れてしまった。信号もつかず、電車も動かなくなりました。
自宅の電気も水道もガズも何もかもがストップ。
テレビで震災の映像が流れると消防車のサイレンの音や、燃え盛る炎や、「早く助けろ!」という怒号などで現場は騒然とした印象ですが、実際の震災直後の被災地は驚くほど静かでした。
車も電車も走らず、人々は(ぼくも含め)何が起こったのか分からず、静かにいました。
静かに公衆電話に並び、静かに給水を待ちました。
目に見えていた秩序は脆く、信号も電車もストップ。アルバイト先は火災で燃えてしまいました。
目に見えない秩序はこういう時もへっちゃらなようで、みんな列になって給水や炊き出しに並びました。
一番近くで営業している銭湯の場所を教えあい、信号だって消えていたのに渋滞の国道はクラクションを鳴らす車はありませんでした。
崩れたもの、崩れなかったものをこの目で見ることができたことはぼくにとって、これまで生きた中で最も重要な事で、あの強烈な揺れとともにその記憶は忘れないものだと思います。
ぼくは、震災の起こった時19でした。
震災まで約20年生きて、また震災後も20年生きました。
これから震災後に生きた時間が長くなってゆき、少しずつ震災の記憶も遠いものになってゆくのだろうけど、せめて1月17日だけはじっくり地震のことを考えたいと思います。
そしてあの時感じたことをいつまでも大切にし、若い娘たちに伝えなければと改めて思います。
今日は滋賀まで家族撮影に呼んでいただきました。
本当に仲の良い家族で、2歳の息子コウタくんはすっかりぼくにもなついてくれて、家の中を走り回り、みんなで大笑いして撮影を続けました。
毎日家の中で繰り広げられているかもしれないけれど、思いっきり幸福なこの光景に立ち会えることに感謝にしなければと思います。
そう思って運転中の帰り道。道路はキラキラ輝いていました。

2015年01月15日
緑の中でのダンス

オーストラリアまでウェディング撮影に行ってきました。
あちらでは結婚式の時、みんなでダンスをするのが当たり前になってるようで、パーティーが始まるまでの間、公園でダンスの練習。
太陽の光がスポットライトのように2人にあたっていました。
2015年01月13日
雨上がり

夕方に雨が降ってそのあと、虹が見れるかも!
ってアトリエを飛び出した。
当たった!
うっすらと大きな虹の欠片が見れた。
でもカメラを取りに部屋に入って再び外に出たら虹の姿は消えた後だった。
残念だな・・と思って道を少し歩いたんだけど、虹が見れなくっても雨上がりの街は美しかった。
2015年01月11日
2015年もよろしくお願いします!

遅くなりましたがあけましておめでとうございます!
2015年もよろしくお願いします。
今年最初の写真は十日えびす。
家族で出かけてきました。
子供たちたくさんの屋台に大興奮、もらったばかりのお年玉を握りしめて何度も同じ道を行き来していました。
子供のころを思い出す!ぼくも屋台大好きでした!!