2016年01月18日
21年がたちました。
阪神淡路大震災から昨日で21年がたちました。
当時ぼくは19歳。住んでいた阪急夙川駅近くの実家は全壊し、幸い家族5人けが人も出なかったことが不思議なくらい家はむちゃくちゃになりました。
その日はぼくが生きてきた中で最も衝撃的な一日になりました。
でも、そんな日の記憶も時間とともに薄れ、毎日のやるべきこと、楽しみにしていることにしか気持ちが向かないことが多くなってきます。それは仕方のないことかもしれないけれど、毎年1月17日だけはしっかり当日のことを意識の中に置いておきたいと思います。
昨日、いつもの休日のように家族と午前中を過ごし、お客さまがアトリエに来てお喋りをし、出来立ての夕食をみんなで食べるというなんとも普通な一日を過ごしました。
いつもだと、「まあ、きょうもええ感じの一日やったな」なんて思って酒を飲んで眠りにつくのだけど、1月17日だけはちょっと違います。
何かをしている、ふとした瞬間に震災の時のことを思い出します。
1995年1月17日、19歳のぼくは、2016年に妻と娘二人と、あんなに被害が大きかった西宮でゆったりと暮らしているとは思わなかったし、仕事をする場があることも、電気や水道を普通に使えることも、できたての食事をとって温かい風呂に入ることもあの日には想像できないことだった。
今当たり前の生活が、できていて当たり前なんだと思っては行けないなぁ
震災の後、すぐに何十キロもある飲水を歩いて持ってきてくれた人がて、70歳の祖父が壊れた家の片付けの多くをしてくれ、ボランティアの方々の助けがあって、震災後のぼくたちの生活に希望が持てるようになった。
震災後数えられないくらい多くの方の助けがあって今の生活があります。
そのことを忘れてはいけない。
東日本大震災後、気仙沼を訪れた際知り合った方からきょうメールが届きました。
「阪神淡路大震災から早い事で、20年の歳月が流れました。 あの日震災に遭われた方々
の記憶には、耐え難い日々を過ごした年月かと思います…。」
という内容。
自身が東日本大震災の被災者でいまなお不自由な生活を強いられているのに、ぼくたちのことに心を寄せてくれる優しさに心を打たれました。
痛みを共有してくれるひとがいるということ、それは大きな勇気の源になります。
いつもはちゃらけてふざけてばかりしていて全然ブログも更新出来ていないけど、きょうはマジメに考えてみました。
河田洋祐

毎日がなんとなく過ぎていくって最高の贅沢なんだとふと思います
当時ぼくは19歳。住んでいた阪急夙川駅近くの実家は全壊し、幸い家族5人けが人も出なかったことが不思議なくらい家はむちゃくちゃになりました。
その日はぼくが生きてきた中で最も衝撃的な一日になりました。
でも、そんな日の記憶も時間とともに薄れ、毎日のやるべきこと、楽しみにしていることにしか気持ちが向かないことが多くなってきます。それは仕方のないことかもしれないけれど、毎年1月17日だけはしっかり当日のことを意識の中に置いておきたいと思います。
昨日、いつもの休日のように家族と午前中を過ごし、お客さまがアトリエに来てお喋りをし、出来立ての夕食をみんなで食べるというなんとも普通な一日を過ごしました。
いつもだと、「まあ、きょうもええ感じの一日やったな」なんて思って酒を飲んで眠りにつくのだけど、1月17日だけはちょっと違います。
何かをしている、ふとした瞬間に震災の時のことを思い出します。
1995年1月17日、19歳のぼくは、2016年に妻と娘二人と、あんなに被害が大きかった西宮でゆったりと暮らしているとは思わなかったし、仕事をする場があることも、電気や水道を普通に使えることも、できたての食事をとって温かい風呂に入ることもあの日には想像できないことだった。
今当たり前の生活が、できていて当たり前なんだと思っては行けないなぁ
震災の後、すぐに何十キロもある飲水を歩いて持ってきてくれた人がて、70歳の祖父が壊れた家の片付けの多くをしてくれ、ボランティアの方々の助けがあって、震災後のぼくたちの生活に希望が持てるようになった。
震災後数えられないくらい多くの方の助けがあって今の生活があります。
そのことを忘れてはいけない。
東日本大震災後、気仙沼を訪れた際知り合った方からきょうメールが届きました。
「阪神淡路大震災から早い事で、20年の歳月が流れました。 あの日震災に遭われた方々
の記憶には、耐え難い日々を過ごした年月かと思います…。」
という内容。
自身が東日本大震災の被災者でいまなお不自由な生活を強いられているのに、ぼくたちのことに心を寄せてくれる優しさに心を打たれました。
痛みを共有してくれるひとがいるということ、それは大きな勇気の源になります。
いつもはちゃらけてふざけてばかりしていて全然ブログも更新出来ていないけど、きょうはマジメに考えてみました。
河田洋祐

毎日がなんとなく過ぎていくって最高の贅沢なんだとふと思います
2015年03月20日
船を見る

急遽、神戸港に豪華客船の「クィーンエリザベス」が入港すると聞いて家族で見に行ってきました。
ポートライナーで港の最寄り駅に近づくと真っ白な巨大な船(というかもはやビル」の姿。車内からは「わー!」なんて歓声も聞こえます。
ターミナルのデッキには大勢の人。みんなこの巨大な船を一目見ようとやってきた人たちです。
写真を撮ったり、旗を振ったりお祭りのような盛り上がりよう。
ちょうど真向かいに船に乗っている人々の姿が見えます。大きな声を出すと話もできちゃいそう。
やがて静かに岸壁から離れ、さようなら!という合図なのかボーッ!と低い汽笛がひとつ。
大きな船は少しずず海へ滑りだしました。
乗り物はどれも大好きだけどその中でも船が一番好き。
こんな豪華客船でなくても良いのでいつか世界一周してみたい!
2015年01月24日
2014年10月28日
梅田の夕暮れ
きょうの夕暮れはグランフロントから見ました。西側は今はだだっ広い空地なので空が広く見えるのが良い。でももうすぐしたら大きなビルができるんだろうな。
下を見ると巨大な水たまりが。いっそこのままにして、1000人の子供が泥んこ遊びができる場所にしたら良いのに・・
広くて何もない場所を見るとなぜはワクワクします。
2014年10月24日
デリスモアさんのケーキ☆


もうすぐ妻の結婚記念日で、その前の日僕達の結婚記念日で、そういえば5月生まれの娘とおのの誕生日ケーキって今年はなかったなーなんて思って、誕生日ケーキを奮発することにしました。
今回は妻に内緒でとおのと二人での作戦会議。妻が「デリスモアさんのタルトが美味しそう!」って前々から言っていたし、ぼくもデリスモアさんのケーキ興味があったので、とおのとふたりデリスモアさんにお願いすることになりました。
お店で大勝さんに(楽園ブログでもご一緒させているのでお友達のような感覚☆)色々と相談させていただきました。「妻がタルト食べたいって言ってたのでタルトでお願いします。「ぼくとみなとはチョコがすきなのでどこかにチョコを使ってください。」「家族全員ベリー系が好きです」なんかもう好き放題。
でもそんなむちゃくちゃな僕達の理想を大勝さんは叶えてくださいました。
タルトの生地は濃厚のチョコレート。上質のガトーショコラのようなしっかりしたチョコです。ベリー類もたくさんのものが入っていました、木苺、ブルベリーブラックベリーもうそれ以上は思えられへん^^;上のトッピングでは3つのお祝いプレートやマカロン、9,11,38というゆかりのある数字のケーキに立てるチョコレート(色がそれぞれちがうのが驚かされました)
持ち帰って、いざ家族揃ってケーキの蓋をあけるときみんな大興奮。
もうここからおとなも子供も理性を忘れてむしゃむしゃケーキを頂きました。
「美味しすぎる」「これがお腹の中に入っちゃうのがもったいない」
美味しい食べ物を前にすると人は幸せいっぱいになるのですね。
我が家のみんなを幸せにしてくれたデリスモアさん、ありがとうございました!
2014年10月15日
元気の雲

最近急に日が短くなってきました。
普段は夜型の生活で、うんと日が昇ってから目覚めるのだけれど、結婚式の撮影がある日はそれとは真逆に早起きをすることもあります。
先日の撮影では夜明け前から出発。どんどん明るくなって行く空を眺めながら車を走らせました。
少し日が昇った頃の驚くようなきれいな雲を発見。車を運転しながらシャッターを切りました。
(ほんとは危ないからダメなんですけど。。)
「今日も一日がんばろう!」
という気にさせてくれる、ぼくにとって「元気の雲」でした
2014年06月13日
虹を見る

きょうの夕方、雨が去った次の瞬間、大きな虹が現れました。
ぼくたちはロケーション撮影ロケーション撮影の真っ最中、移動中の車の中から虹を見つけ
予定を変更して神戸の街を一望できる高台にむかいました。
そこから見る虹は見事な半円を描いていて、よく見ると外側にもぼんやりと二重の虹。
こんな綺麗に虹を見るなんていつ以来だろう。
みーんな飽きることなく空を見上げていました。
河田洋祐
2013年03月22日
北海道への旅





スケジュール帳を見たら週末に東京で撮影が入っていて、その前日は何も予定が入っていないことがわかりました。
これは東京に行く前にどこかに行けと言うことか!?
ということでぼくは日本地図とにらめっこ。
そして出した結論。北海道へ立ち寄ることにしました!
西宮から東京に行くのに北海道なんて全く別の方向。でも良いじゃないですか。面白いじゃないですか。
いまや1万円も出せば沖縄にも北海道へも行けちゃいます。
早朝神戸を発って、朝の10時には新千歳空港に到着。
なんとなく「小樽」に行ってみたいと思い、新千歳から電車で1時間。小樽へ到着。
関西はそろそろ桜も咲き始めようかというほど暖かな季節だけど、小樽は違います。
寒いです!!
街頭の温度計はマイナス3度。道端にかき分けられた雪はぼくの背丈ほどもあります。
実際この日も雪が降っていて、もちろん道路にも積もっています。
足元はツルツルで、
15回は転けそうになりました。
そして1度はドッカーン!と派手に転けてしまいました。痛かった・・
冬景色の小樽は静かな街です。観光客はまばらです。
大きな街ではないので、歩くのが楽しい。
(こけそうになるのは別として)
有名な運河や倉庫群に息を呑んだり、可愛らしいおもちゃ屋さんを見つけて得した気分になったり。
いくら丼も食べました。美味しかった(^O^)
たった半日だったけど、小樽を満喫しました。
札幌から東京までは夜行列車に乗りました。
主要時間は17時間。
飛行機では1時間あまりの距離だけど、この時間の使い方は贅沢すぎます。
どっぷりスローな旅を楽しみました。
さあ、今日から仕事。頑張ろう!!!

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2012年06月12日
手縫いレザーのカメラケース

友人の誕生日にカメラケースを作りました。
これまでカメラケースは、自分用や友人用・スタッフ用で何個か作って来たのだけれど、久しぶりに作る今回はいつも以上に頑張りました。
革は表面と裏面で2種類のものを使用していたり、革の断面(コバといいます)に塗る薬品をこげ茶の色つきのものを試しに使ってみたり、止め具のホックを小さめのアンティークのものを使っていたり・・初めて挑戦することが沢山ありました。
普段アルバム作りに使っている革のはぎれを利用しているので材料代もかからず、どこでも手に入らないオリジナル。
あとは裏面にイニシャルを刻印して完成です。
河田洋祐
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2012年05月02日
丹後半島へ


妻と娘が帰省するゴールデンウィーク、ぼくはつかの間のひとり気ままな時間を過ごしています。
この日思い立って丹後半島までやって来ました。
天気は雨。傘にポツポツと降る雨の音を聞きながらぼくは小径を歩き続けます。
目に見えるものは、空も海も、田植え前の田もすべてがライトグレー。そこに新緑だけが彩度高く存在する独特の世界が広がっていました。
ここはぼくが写真学生だったころ作品作りに通い詰めた場所です。
山があって海があって田畑がある世界は、街中で育った僕にとってまったく別の世界のように映ったのを覚えています。
何度もこの道を歩いて数え切れない写真を撮ってきたのは十数年前のこと。
田が続く道を歩くと当時のことをとめどなく思い出します。
あの頃と比べると、ぼくの生活も立場も、使うカメラの機種もほとんどの事柄が変わりました。
だがここの風景はほとんどが十数年前のまま。
そしてぼくの写真への向き合い方も学生時代のまま。
これだけはずっと変えないで行こうと考えています。
ここは僕が自分と向き合うことが出来るかけがえのない場所。
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